京陽小学校について

京陽小学校は、品川区の区立小学校では5番目に古い歴史を有しています。

古い順に並べますと、品川小学校(現在の品川学園)、城南小学校、鮫浜小学校、大井第一小学校、京陽小学校の順となります。

荏原地域では一番古い歴史があり、以後、杜松小学校(現在は豊葉の杜学園に統合)、演算小学校の順に荏原地域の歴史の古い小学校があります。

京陽小学校は、東急池上線の戸越銀座駅から徒歩3分程度で、まさに戸越銀座の小学校と言えます。

現在は、品川区では学校選択が可能となっていますが、京陽小学校に児童が通う学区町会は、京陽5町会と呼ばれる5つの町会であり、現在でも人のつながりが強い地域となっています。

京陽5町会は、平塚一丁目町会、平塚一丁目南部町会、中原共和町会、平塚二丁目町会、平塚三丁目町会、の5つです。

京陽小学校では、入学式、卒業式に、各町会からも皆さんが参列され、民生児童委員の皆さんを始め、毎回本当に多くの地域の皆さんがお見えになります。それだけ、地域の皆さんに愛されている小学校と言えるでしょう。

京陽小学校の近くにはいくつか区立小学校がありますが、南側には区道26号線を超えたところに中延小学校、東側には第二京浜国道の東側に宮前小学校、北側には第一日野小学校、西側には中原街道の西側に後地小学校、小山小学校、そして一番近くには荏原平塚学園という小中一貫の義務教育学校があります。

京陽小学校の京陽、という言葉は、地名ではありません。京陽小学校は、現在の平塚二丁目町会と平塚三丁目町会が密接に関わってきた町会です。その地域の方々が、「京城の南側を明るく輝かせる」という意味で「京陽」と名付けたと伝えられています。

この2つの町会では、御祭礼の時の祭禮委員会、お神輿の同好会にも京陽という名を冠しており、今でも、そうした歴史をいたるところに感じさせてくれます。

この地域には、かつて荏原二中(荏原第二中学校)と平塚中学校がありました。この2校は、平塚小学校と統合され、現在の荏原平塚学園となっています。

荏原二中の跡地は、現在はひらさん広場とされ、多目的広場として、地域の少年スポーツの活動の場、高齢者スポーツの活動の場、平塚三丁目町会の祭禮などの行事の場として活用されています。

京陽小学校では、前校長の守田由紀子校長(現源氏前小学校校長)が6年の在任期間の中で様々な取り組みを行って改革し、地域では、旧学区の5町会以外からも、広く児童を集める人気校になっています。守田校長先生の在任期間の改革は大変多く、金管バンドの創設、江戸しぐさの教育、英語教育、ICT教育としてのプログラミング学習、本当に長足の改革を毎年やり続けられ、一方、地域との関係も大変重視した学校運営をされ、現在の青木幸代校長先生の学校運営に引き継がれています。

私久川は、第29代PTA会長として京陽小学校に協力した経緯があり、以後も微力ながら外部評価委員を務めたり、町会との橋渡し、交通ボランティアとして通学路を見守るなどの活動を続けています。地域の皆さんと顔が見えるお付き合いをしており、現在は、京陽小学校で菊を栽培する菊の会の会員としても活動しております。

税理士事務所も、必ずしもその地域に在住する人ではありませんが、私はこの土地、この地域の皆さんが大好きで、地域に協力しつつ、地域を大切にして、税理士事務所を経営しております。地域の人達からも信頼され、お仕事を依頼されることも少なくありません。もちろん、信頼できる仕事をすることで、信頼していただいております。

城南地域、目黒区、品川区、大田区、港区、世田谷区などの皆様と近い距離でサポートさせていただく機会がありますことを、心より願っております。港区、目黒区には関与先も多く、世田谷区については北沢税務署に長く勤務しておりましたので、よく存じております。地に足がついた経営支援を心がけてまいります。